河津の風に吹かれて、胃袋が蕎麦を渇望する
仕事で訪れた河津市。 海と山が接近するこの土地特有の、のどかでいて、どこか力強い空気が流れている。
一仕事を終え、緊張の糸が切れた途端、俺の体に異変が起きた。
……腹が、減った。
猛烈に、だ。 今の俺の胃袋は、何を求めている? こってりしたものではない。
かといって、物足りないものでも困る。 河津といえば、綺麗な水、そしてわさびだ。
そうだ、蕎麦だ。キリッと冷えた蕎麦を、ツンとくるわさびで手繰りたい。いや、温かい出汁の香りも捨てがたい。
思考回路が完全に「蕎麦」に固定された。
スマホで「河津市 蕎麦屋」と検索し、表示された名店を目指して歩き出す。
11時の衝撃。焦らしという名のスパイス
見えてきた。瓦屋根が立派な、堂々たる店構え。「天城そば 美よし」の看板。
この佇まい、タダモノではない。

暖簾をくぐったのは、午前11時10分。開店直後だ。 が、俺は自分の目を疑った。
満席。嘘だろう? 店内はすでに、幸せそうに蕎麦をすする客たちの熱気と、出汁の良い香りで充満している。
完全に出遅れたか。 店員さんに名前を告げると、1時間後になるとのこと。
……いいだろう。受けて立とう。 1時間のお預け。
それは、空腹という最高の調味料を、さらに熟成させるための儀式だ。
俺は近くを散策し、胃袋のコンディションを極限まで整えて、再び暖簾をくぐった。
二人席という陣地で、究極の選択
「お待たせしました、こちらの席へどうぞ」 案内されたのは、普通の二人掛けのテーブル席。
一人でゆったりと食事と向き合い、己のペースで平らげるには、むしろ好都合な陣地だ。
さあ、メニューと真剣勝負だ。


視線が「元祖天城そば」に釘付けになる。店名を冠し、元祖を名乗る品。
これを避けて通るわけにはいかない。 だが、今の俺の空腹獣は、蕎麦一杯で満足してくれるのか?
隣のページには悪魔的な魅力を持つ「美よしそばセットA(ざるそば、海老半天丼)」の文字。
冷たい蕎麦も食いたい。そして、天丼というパワーも欲しい。
ええい、ままよ。 「すみません、元祖天城そばと、美よしそばセットAをお願いします」
店員さんが一瞬、間を置いた気がしたが、気のせいだろう。 今日は祭りだ。一人蕎麦祭りだ。
実食。自分ですり下ろす「天城の息吹」
儀式は、一本のわさびから始まる
まず運ばれてきたのは、料理ではない。 鮫皮のおろし器と、まるまると太った立派な本生わさびだ。

「お蕎麦が来るまで、ゆっくりすってお待ちください」 なるほど、そういうスタイルか。
望むところだ。 茎の方から、円を描くように、力を入れすぎず、ゆっくりと。
シュッシュッという静かな音とともに、鮮烈な香りが立ち上ってくる。
鼻腔を突き抜けるような清涼感。しかし、ツンツンした刺激臭ではない。
どこか甘みを含んだ、森の香りだ。これが本物か。
甘みと辛味の真剣勝負「元祖天城そば」
わさびをすり終えた絶妙なタイミングで、真打ちが登場した。

まずは「元祖天城そば」から。 冷たく締められたざる蕎麦の上には、飴色に輝く立派なしいたけが鎮座している。
なるほど、そういうことか。 まずは、しいたけを一口。
……おおっ、甘い! 肉厚なしいたけに、甘辛い味がしっかりと染み込んでいる。
噛むたびにジュワッと旨味が溢れ出してくるぞ。
そこに、先ほどすり下ろしたばかりの生わさびを少し乗せ、蕎麦と一緒にすする。
ズズッ。 うまい! キリッと冷えた蕎麦の喉越し。しいたけの濃厚な甘み。
そして、それをピシッと引き締める生わさびの爽やかな辛味。
この「甘み」と「辛味」のコントラスト、とんでもない計算だ。 ただのざる蕎麦じゃない。
しいたけとわさびが組み合わさることで、口の中で見事な「天城」が完成している。たまらん、箸が止まらない。
冷と温の饗宴「美よしそばセットA」
だが、俺の戦いはまだ半分だ。 次は「美よしそばセットA」が待ち構えている。

まずは、ざるそば。 冷水でキュッと締められた蕎麦のエッジが美しい。
つゆに少しだけつけて、一気にすする。 ……これだ。この喉越し。蕎麦の香りが鼻から抜けていく快感。
今度は、わさびを蕎麦に直接ちょんと乗せていただく。 うおっ、甘い!わさびが甘いのだ。
ツンとした刺激の後にくる、この上品な甘み。これぞ本生わさびの真骨頂。


そして、熱々の海老半天丼へ。 サクッ。プリッ。 完璧な揚げ具合。
甘辛いタレが染みたご飯とかき込めば、もう言葉はいらない。
温かい蕎麦、冷たい蕎麦、そして天丼。 この贅沢すぎる三角食べ。口の中が、河津の食のテーマパーク状態だ。
幸福な満腹感と、再訪の誓い
気づけば、目の前の器はすべて空になっていた。
最後に、とろりとした濃厚な蕎麦湯でつゆを割り、ゆっくりと飲み干す。 ふぅーっ。食った。完璧に食った。
席を立ち、会計へ。 「綺麗に召し上がっていただいて、ありがとうございます」 女将さんの柔らかな笑顔に、こちらも自然と頬が緩む。 「最高でした。特にこのわさび、自分で下ろすと香りが全然違いますね」 「ええ、地元の良いわさびを使わせてもらってますから。また河津に来たら寄ってくださいね」
店を出ると、先ほどまでの空腹が嘘のような、心地よい重みが腹にある。 1時間待った価値は、十分すぎるほどにあった。 河津市「天城そば 美よし」。 俺の記憶に、しっかりと刻み込まれた。
さて、満タンになったエネルギーで、午後の仕事に向かうとしよう。 ごちそうさまでした。
今回訪問した「元祖天城蕎麦美よし」の詳細
元祖天城蕎麦美よしへのアクセス
〒413-0511 静岡県賀茂郡河津町峰579−1
| 営業時間 | 11:00~売切れ次第閉店 ■ 定休日 木曜日(祝日の場合は営業) 営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
| 駐車場 | 無 |


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